「日本とアメリカでの教育に関する違いはどこにあるか?」アメリカの学校で教員経験者に取材を行いました。日米両国の教育を経験した見地からのコメントも含まれています。

アメリカと日本の教育を比較すると、大学受験に関する生徒の評価方法に大きな違いがあることに気づかされます。
誰しも一度は聞いたことがある言葉だと思いますが、「日本の大学は、入るのが難しく出るのは簡単。それに対し、アメリカの大学は、入るのは簡単だが出るのが難しい。」です。「アメリカは楽でいいな!」と思った受験生もいるのではないでしょうか。しかし、実際のアメリカの大学受験を取り巻く環境について知れば、この言葉がいかに嘘かが分かることでしょう。そうです、「入るのも出るのも難しいのがアメリカの大学」なのです。

その理由として挙げられるのは、大学の選抜の特徴が、成績だけではなく、多様性に富み人間力のある人物を求めるからです。ですから、一流大学を目指す受験生は、当然全員が成績は高得点ですので、他の受験生と差をつけるためには、人間としての魅力や、引き出しの多さなど個性的であるかが求められます。
※奨学金を多く得るのにも、人間としての総合力が求められます。

希望する大学に提出する願書には、以下が含まれます。
1、成績:高校4年間の内申書スコアGPA
2、大学進学適性試験:SAT/ACTと呼ばれる試験のスコア
3、エッセイ:個人的な経験や学生生活を主張します。価値観や意欲や目標などユニークさが重視されます。人格を明確にアピールしなければなりません。
4、学校からの推薦状
5、履歴書:コンテストでの受賞、課外活動のスポーツや音楽、生徒会活動、スピーチやミュージカル等の芸術活動、ボランティアやアルバイトの経験などにより、特技やリーダーシップ、協調性、忍耐力や根気、責任感、勉学との両立を評価されます。
6、面接:ユニークな人材が求められ、その人物が大学にどれだけ貢献できるのかを判断されます。

つまり、受験直前に猛勉強をして点数を稼ぐという付け焼刃では勝てないのです。高校の4年間の努力が全て反映されるわけですから、一時も気を抜けないのがアメリカの高校生とも言えます。勉学以外にも、社会にどれだけ貢献してきたか、大学にとって有益な人物なのかという視点で厳しく評価されます。実際に、大学進学適性試験ACTで満点をとったにもかかわらず、志望大学に落ちた学生もいます。勉強家で成績はトップでも、人格が評価できないような高校生活では受験ではとても不利になります。

学生は、人格の評価である“National Honor Society”(全米優等生協会)の表彰を受けることを、とても名誉なことと考えており、大学進学にも大きな影響をもたらします。それを熟知している保護者は、子どもが13歳(中学1年生)になると、大学受験を意識し始めます。長期的な子育ての姿勢が問われることになるのです。

今回取材をさせていただいた方の息子さんは、誰もが遊び呆ける土曜日に日本語補習校に通い日本語の勉強を続けました。学校ではフットボール、バスケットボール、陸上競技、かてて加えてミュージカルや生徒会活動もやってのけ、学外では大学病院で4年間ボランティアを続け、夏休みには、水泳のインストラクターやライフガードもしたそうです。一時も休む間もなくボランティアや部活にアルバイトの生活を送ったようですが、何とか学業との両立もさせ、彼はタイムマネージメントにおいて成功を収めたそうです。「振り返れば本当に大変な4年間でしたが、息子には生きる力や人間らしさがしっかりとついたような気がします。」と話します。

これだけ読むと、アメリカの学生はすごく大変だなと思われるかもしれませんが、常に猛勉強と猛活動をしているのかと言えばそうではなく、学生生活を存分に楽しんでもいるのです。

アメリカンドラマなどでも目にするシーンですが、学校主催のダンスパーティで夜中まで騒いだり、上級生はプロムという卒業パーティで、大人顔負けにタキシードやドレスに身を包み、夜明けまで楽しんだりします。
また、学内では恵まれない子どもや病気の子ども達のために募金活動をして献金したり、お年寄りの家や公共施設の清掃などの奉仕活動をしたり、クリスマスにはチームを組んで恵まれない家族のために募金活動をして、様々なものをプレゼントしたり、3ヶ月もの長い夏休みには、宿題もなく登校日もなく、家族とバケーションを楽しんだり、サマーキャンプに参加したり、アルバイトやボランティアをするなど、生き生きと過ごします。

こういったことから、学生は社会の一員として社会に貢献する態度をしっかりと身につけていくのです。

高校を卒業すると、殆どの学生は家を出て自立し始めます。大学寮に入ったり、アパートを見つけて、学生ローンを組んでアルバイトをしながら、大学の授業料や生活費を捻出したりです。彼らは自身の生活がかかっているので、実によく働き、真剣に学びます。そしてその自立の代わりに「自由」を勝ち取るのです。

例えば、志望大学に落ちた場合、大学のランクを落として願書を出し、志望大学に編入トランスファーすることもできるので、将来的に色々な可能性があります。また、大学を卒業して一旦社会に出たあと、大学院に戻って勉強を続ける人も多く、家族を抱えながら学生を続ける人もいます。父親や母親が学生という例はどこにでもあり、終身雇用制の日本と違い、よりよい条件を求めて勉強を重ね、さらに上を目指して頑張る人達の姿は、チャレンジ精神に満ち溢れる自由な国アメリカの象徴でもあります。

家庭では、小さいうちから他人に迷惑をかけずに自立できるように躾けられ、生きていく上で必要な社会のルールをしっかりと子ども達に教え込みます。小さな紳士淑女たちは、レストランや公共の場所でも騒ぐことなく、とても静かに社会のルールを守ることができるのです。学校やスポーツでも、ルールを守りフェアに戦うことを教えられ、社会生活における調和を学びます。子ども達は決して大人の世界には入れないので、夫婦で出かけるときはベビーシッターに預けられ、家で留守番をしています。親子と言えどもプライバシーを侵害してはいけないことを学びます。

アメリカの幼児期から続く教育過程で一貫しているものは、地域社会に奉仕することです。幼い頃から学校や教会での活動を通じて、自我を抑えて他人に奉仕することを教えられます。このように、学校での勉学と並行して、人間として心も体もバランスの取れた社会教育を施しています。知育偏重の教育に対し、徳育や体育、そして情操教育を重んじています。アメリカは今、将来的に人格の優れた世界的リーダーを輩出すべく、全人教育に力を注いでいるように感じます。

今、幼児であれば20~30年後、中学生くらいであれば10~20年後に、社会(世界)というフィールドで、学問はできて当たり前、それ以外でどう差をつけるか?という環境で多くの経験を積んできた彼らと競争していくことになるのです。